「サンタフェ、サンタフェ、サンタフェ!」 このガイドブックの主な舞台となるサンタフェという街ですが、日本に住む読者にはあまり知られていません。全米で行われた調査で、観光で訪れたい街ランキングでは、いつもベスト3に入るのにもかかわらず、です。このように、米国では人気があっても、日本では人気どころか、知られてさえいないんです。本当に不思議ですよね。 日本で、米国の都市の中でよく知られている街は、上位に買い物の地として女性誌が頻繁に取り上げるニューヨーク、ディズニーランドのあるロサンゼルス、イチローの活躍したマリナーズのあるシアトル、バケーションで行くホノルルなどが挙げられます。ところがサンタフェというと、いったい何がある街なのかも知られていないし、そもそもなぜそんな街を取り上げるのかも分からない、といった状況です。 サンタフェはニューメキシコ(New Mexico)州の州都です。もちろん日本人にはニューメキシコ州なんて名前さえ知られていません。それどころかメキシコと勘違いされる始末。それでも、その勘違いはあながち間違っていません。なぜなら、現在、ニューメキシコ州はメキシコとの国境にあることに加え、スペイン領の州でもあったこともあり、その後メキシコの一部でもあったこともあるからです。ニューメキシコ州は、米国本土にある州の中では、最南部に位置する州のひとつです。テキサス州とアリゾナ州に両横を挟まれ、北にはコロラド州があります。サンタフェは、コロラド州を貫くロッキー山脈の南端に位置しているので、だいたい富士山の6合半目程度の高さのところにあります。実際、滞在の初日は頭痛に悩まされる人もいます。 その気候故に、サンタフェは恵まれた環境にあります。高地にあるため、太陽光線が非常に強く空気も薄いですが、この薄めの空気の中で強い太陽の光りに照らされるサンタフェ、その周辺の地域は本当に美しいです。軒先から吊るされたチリのあざやかな色彩、雄大な大地メサ、アドビ建築のかもす暖かさ、どこまでも青く澄み切った空、等々。 一方、私たちはすでにサンタフェに「出会っている」かもしれません。メディアを通じてかもしれないし、今まで勉強してきた世界史の中においてかもしれません。実は、「インディアン」と呼ばれる人々も、この街や周辺に住んでいます。ただ、その人たちの存在を知ってはいても、米国のどこにいるのかも考えたこともないのかもしれません。だいたい、ディズニー映画やそのアトラクションの中だけにいる人々だと思われていることが多いからでしょう。 本ガイドブックは、サンタフェという街を、もう一度、日本人との関係の中で捉え直そうとする試みの中から生まれたものです。例えば、広島・長崎に投下された原子爆弾を研究開発したマンハッタン計画を支えたのもサンタフェやその隣のロスアラモスという街です。それでも、サンタフェが、日本であまり知られることのなかった理由も考えてみるに値するかもしれません。
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サンタフェは「魅惑の地」とも言われているほど、多くの魅力があります。食べ物ではチリなどを使った辛いメキシカン料理にとどまらず、インディアン料理があります。ジュエリーに関して言えば、インディアンのトライブ(部族)毎に異なる鮮やかなターコイズの装飾品などがあります。そんな魅力あふれるサンタフェにはそうなるまでに至った深い歴史もあります。 サンタフェが多文化な街になるきっかけとなった「サンタフェトレイル」。高い岩山の上にあるインディアンの居住地「アコマ」の歴史。インディアンは消えてはいないと教えてくれる「バンダリア国立公園」。かつてはアメリカ人に土地を奪われた身でもあるに関わらず、第二次世界大戦では「コードトーカー」としてアメリカ側で活躍したインディアンの人々。サンタフェの文化がとても鮮やかであるのと同時に、「歴史」もたくさんあり、私達に多くのことを語りかけています。 みなさんには私達が作ったガイドブックやイベントを通し、サンタフェの歴史について知ってもらい、少しでもサンタフェに興味を持っていただけたらと思っています。
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紀元前10000年 |
現在の米国南西部にプエブロの祖先が住み始める |
紀元前3000年 |
コーンを育て始める |
紀元前1000年 |
スクワッシュと豆を育て始める |
紀元前300年 |
定住型の村での生活がはじまる |
14世紀末〜 15世紀初頭 |
干ばつのため、メサヴェルデ、チャコ、ホホカンから、リオグランデ周辺や現在のアコマ、ズニ、ホピの住んでいる場所へと人々が移動 |
1539 |
フランシス修道会の聖職者、マルコ・デ・ニザが現在のニューメキシコ州西部について調査報告 |
1540 |
ニザの報告を受けて、現在のニューメキシコ州一帯にフランシスコ・バスケス・デ・コロナド率いる一団が派遣される |
1598 |
ドン・ファン・デ・オニャーテ率いる入植者たちがサンタフェ周辺を拠点にスペイン植民地ヌエボメヒコ(現在のニューメキシコ)を建設 |
1610 |
総督邸の完成 |
1610 |
サンタフェ最古の教会、サン・ミゲ−ル教会建設 |
1680 |
プエブロ・リヴォルト |
1692-1696 |
バルガス率いるスペイン軍によりプエブロ再征服 |
1701-1716 |
サンタフェのスペイン総督、ホピ平定とカトリック復活のために兵を送る |
1821 |
スペインからメキシコ独立→ヌエボメヒコはメキシコ領に |
1821 |
サンタフェ・トレイル開通 |
1830 |
インディアン強制移住法の制定 |
1848 |
アメリカ・メキシコ戦争→広大な土地がアメリカ領に |
1849 |
サンタフェにインディアン代表部が置かれる |
1851 |
Jean Baptiste Lamy大司教、聖フランシス大聖堂建設開始 |
1863-1864 |
ナヴァホのロング・ウォーク、ボスク・レドンドへの強制移住 |
1868 |
ボスク・レドンド条約がナヴァホ族とアメリカ合衆国の間で結ばれる |
1880 |
アッチソン・トピカ・サンタフェ鉄道開通 |
1887 |
ドーズ法成立 |
1912 |
ニューメキシコ州に昇格、サンタフェは州都 |
1926 |
ルート66創設 |
1939-1945 |
戦時中、ナヴァホ語が暗号として使用される |
1945 |
ロスアラモス国立研究所にて、世界初の原子爆弾が開発される |
1960s |
天然痘の流行、先住民減少 |
1960-70s |
観光ブーム→工芸品、美術品 |
1976 |
インディアン・プエブロ文化センター開設 |
1982年4月14日 |
「ナショナル・ナヴァホコードトーカーズ・デー」 |
1990 |
アメリカン・インディアンの墓地保護と変換に関する法、通称「再埋葬法」(Native American Graves Protection and Repatriation Act略してNAGPRA)施行 |
2001 |
ナヴァホのコードトーカーたちがブッシュ大統領(当時)に表彰される |
●サンタフェの「食」
アメリカでよく食べられている料理は?と聞かれたら、あなたはなんと答えますか。おそらく、多くの人がハンバーガーやサンドイッチを挙げるだろうと思います。確かに、多くの州でそうかもしれないし、実際に私もそう思っていました。けれども、少なくともサンタフェでは違います。サンタフェでポピュラーな食べ物はエンチラーダやタコスといったメキシコ料理であり、もちろん、そこに住んでいるインディアンの人々もそういった料理を食べているのです。 私たちは、みなさんにインディアン料理やサンタフェでポピュラーなメキシコ料理に興味を持ってもらい、さらにそれらの料理でよく使われる食材やその歴史などについても関心を寄せてもらうことを目的としています。 その目的を達成するために、サンタフェの歴史的背景、特産物、伝統文化などあらゆる点から“食”という大きなテーマにアプローチしていきます。例えば、ヨーロッパ人が植民地化する際に持ち込んだコーンは、現在プエブロ・インディアンの人々をはじめ、多くの人々にとってなくてはならない食物となっています。この事実は、歴史的背景があってこそ存在しうるものであり、ただ“コーンを日常的に食べる文化がある”というだけでは終わらないのです。 このように、食はそれ一つを切り離して考えられるものではなく、歴史や文化などを踏まえた上で考えなくてはいけないものなのです。それゆえに、私たちは料理を紹介するだけでなく、食材や歴史についても同等に扱いたいと考えています。
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サンタフェは観光都市ということもあって多くのみやげ物が置かれていますが、その中でもジュエリーは大きな割合を占めています。美しいターコイズや繊細な銀細工をふんだんにあしらったジュエリーは人気が高く、日本でも「インディアンジュエリー」としてエスニック系ファッションが流行する中、注目を集めています。 ところで、この「インディアンジュエリー」と聞いて皆さんが連想するものはなんでしょうか。大ぶりのターコイズをシルバーにはめ込んだ、派手でいかつい印象でしょうか。もちろんそういったものも多いですが、実はそれだけではなく、カジュアルで普段使いにぴったりなものも多数あります。「インディアン」と一口に言っても実際には多数のトライブに分かれているので、当然そのトライブごとで使う石の種類やデザインは異なります。だから「インディアンジュエリー」と一言でくくることはできないほど多様性にあふれているのです。また、彼らの扱うモチーフも自然に根ざしたもので、それぞれに込める意味があります。ガイドブックではジュエリーの多様性やその魅力、モチーフに込められた意味の一例を紹介していきます。 しかし、私たちはジュエリーの魅力だけにとどまりません。その奥に潜む、ジュエリー問題についても取り上げていきます。その問題とはずばり、模造品問題です。プラスチックをターコイズに似せて加工し、安価な値段で流通させることによって、現地のアメリカン・インディアンの作り手たちが大きな打撃を受けています。アメリカでは法律で規制がありますが、それ以外は規制が全くと言っていいほどないというのが現状です。日本でも、雑貨屋や中高生向けのアクセサリーショップで必ずと言っていいほど見かけますね。それを私たちが買うことに対し、作り手であるアメリカン・インディアンの人々はどう考えているのでしょうか。彼らの声も取り上げながら、私たちは消費者としてどう行動すべきなのかも考えていきたいと思います。
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